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【連載 第2回中編】氷の下で眠るマリモの危機と復活 ―世界に散らばるマリモ、湖底に眠るマリモの記憶②

いきなり本題です。

本記事の概要図(生成AIで作成したイメージ画像)。

🟢 分類の話:マリモの学名が変わった?

ここで少しだけ、分類学の話に寄り道してみましょう。

「分類学」と聞くと、少し地味で難しそうに感じるかもしれません。実際、学名の話は、マリモの丸さや阿寒湖の波の話に比べると、一般の読者にはとっつきにくいテーマだと思います。

しかし、今回のマリモの話では、ここを避けて通ることができません。

というのも、最近の論文で、私たちが長いあいだ使ってきたマリモの学名 Aegagropila linnaei について、「正しい学名は Aegagropila brownii である」とする整理が示されたからです。

いきなり名前が変わったと言われると、少し混乱しますよね。

「えっ、マリモは別の生き物だったの?」
「阿寒湖のマリモが新種になったということ?」
「これまでの研究は間違っていたの?」

と思われるかもしれません。

結論から言うと、マリモという生き物そのものが変わったわけではありません。阿寒湖のマリモが突然別種になったわけでもありません。今回の話は、新種が見つかったというニュースではなく、200年以上前の文献や標本を見直した結果、命名規約に従って正式な学名が整理された、というものです。変わったのは、「この生物に対して、命名規約上どの学名を使うべきか」という、名前の扱いです。

たとえるなら、同じ人物について、古い戸籍や書類を調べ直した結果、「現在よく使われている名前より、規則上はこちらの名前を正式に使うべきだった」と分かったようなものです。本人が変わったわけではありません。ただし、公式な書類で使うべき名前が見直された、ということです。

📌 ちょこっと余談:学名って誰が付けるの?

ここで、もうひとつ素朴な疑問です。

「学名って、誰が付けるのでしょうか?」

「最初に見つけた人が自由に付けられる」と思われるかもしれませんが、実際には少し違います。
生物学では、新しい生物だと考えられたものについて、その特徴を詳しく調べ、論文などで正式に発表した研究者が学名を与えます。

つまり、「見つけた人」ではなく、「正式に記載した人」が命名者になるのです。

もっとも、その後の研究で「実は昔に別の名前が付いていた同じ生物だった」と分かることもあります。その場合は、新しい名前をそのまま使うのではなく、命名規約に従って、どちらを正式な学名とするかが整理されます。

今回のマリモの話も、まさにそのような例なのです。

💚😄💡学名は「世界共通の名前」

まず、学名とは何かを簡単に確認しておきましょう。

「マリモ」という和名は、「毬(まり)」と「藻(も)」を組み合わせた名前です。 丸い毬(まり)のような姿をした藻類であることから、この名前が付けられました。現在広く使われている「マリモ」という名称は、植物学者の川上瀧彌(かわかみ たきや)氏によるもので、氏は1897年(明治30年)に阿寒湖でマリモを発見し、Cladophora sauteri と同定するとともに「マリモ(毬藻)」という和名を提唱しました(川上 1897–1898)。一方、和名(毬藻)が植物学雑誌で発表されたのは明治31年(1898年)です。

私たちは日本語で「マリモ」と呼んでいますが、世界中の研究者が同じ日本語名を使うわけではありません。英語ではlake ball(s)、algal ball(s)(Tuji & Niiyama 2022)、moss ball(アクアリウム流通)、あるいは以前の分類に由来するCladophora ball(Acton 1916) 、あるいは日本語由来の marimo などと呼ばれることがあります

そこで、生物学では世界共通の名前として「学名」を使います。

たとえば、これまでマリモの学名として広く使われてきたのが Aegagropila linnaei です。読み方は「アエガグロピラ・リンナエイ」に近いでしょうか。属名が Aegagropila、種小名が linnaei です。人間の名前にたとえるなら、属名が名字、種小名が名前のようなものです。

ただし、生物の学名は、自由につけてよいわけではありません。藻類、菌類、植物の学名は、国際的な命名規約に従って扱われます。そこでは、「同じ生物に複数の名前がついていた場合、どの名前を優先するのか」「名前を変えるときはどう書くのか」「その名前がどの標本に基づくのか」といったルールが細かく決められています。

このルールに照らして、マリモの名前をもう一度調べ直したのが、Guiry and Frödén による2023年の論文です。

💚😄💡マリモは、昔から名前が揺れていた

実は、マリモの学名は、もともと安定していたわけではありません。

古い文献では、マリモは Conferva という属に入れられていました。その後、Cladophora 属に移された時期もあり、Cladophora aegagropila や Cladophora sauteri という名前で扱われてきました。

そのため、少し古いマリモの論文を読むと、現在の感覚では「これは本当に同じマリモの話なのか?」と思うような名前が出てくることがあります。しかし、多くの場合、それらは現在のマリモに相当する生物を、当時の分類体系で呼んでいたものです。(なお、こうした属の移り変わりは藻類学の一般的な経緯であり、後で紹介する Guiry and Frödén の2023年論文が直接扱っているのは、このうち Conferva aegagropila と Conferva brownii、そして Aegagropila の関係です。)

その後、分子系統解析*1 が進み、マリモは一般的な Cladophora 属とは異なる系統に属することが示されました(この系統解析については、中編①で紹介した18S rRNA遺伝子の研究が大きなきっかけになりました)。その結果、Aegagropila linnaei という名前が広く使われるようになりました。ただし、この名前が広く定着したのは2010年前後以降で、それ以前は Cladophora 系の名前が主流でした。意外に新しい呼び名なのです。

(*1 分子系統解析:DNAやRNAなどの遺伝情報を比較し、生物どうしの進化的な近縁関係を調べる方法です。見た目がよく似た生物でも、遺伝情報を調べることで、本当に近い仲間なのか、それとも別の系統なのかを判断できます。)

ここまでは、「分類上の位置づけ」の話です。

つまり、「この藻類は Cladophora 属に入れるより、Aegagropila 属として扱う方がよい」という整理でした。ところが、Guiry and Frödén の論文で問題になったのは、もう少し細かい、しかし分類学では非常に重要な「命名上の優先順位」の話です。

📌 ちょこっと余談:そもそも、同じ生物に複数の名前がつくことってあるの?

「ひとつの生物に、名前が2つもあるなんて不思議だな」と思われるかもしれません。

実は、生物学では珍しいことではありません。

たとえば、ある研究者がヨーロッパで見つけた藻類を新種だと思って名前を付けたとします。一方、その数十年後、別の研究者が遠く離れた日本で同じ生物を見つけ、別の新種だと思って別の名前を付けたとしましょう。

その時点では、お互いに「同じ生物」だとは気づいていません。

しかし、その後、世界中の標本やDNAを詳しく調べた結果、「実はこの2つは同じ生物だった」と分かることがあります。すると、同じ生物に複数の学名が存在する状態になります。

こうした場合、生物学では「どちらの名前を正式な学名として採用するか」を、国際的な命名規約に従って整理します。その基本となる考え方が、「先に有効に発表された名前を優先する」というルールなのです。

💚😄💡名前には「先に発表されたものを優先する」ルールがある

つまり、分類(どのグループに属するか)の問題と、命名(何という名前で呼ぶか)の問題は、実は別の話なのです。学名の世界には、基本的に「先に有効に発表された名前を優先する」という考え方があります。これを優先権の原則と呼びます。

もちろん、例外や細かな条件はあります。しかし大まかに言えば、同じ生物に複数の学名がついていた場合、後からよく使われるようになった名前より、より古く、正しく発表された名前を優先する、というルールです。

ここで登場するのが、Conferva brownii という古い名前です。

この名前は、1809年に Dillwyn によって記載されました。もとになった材料は、Robert Brown が「Dunrea, Ireland」から送ったもので、洞窟内の濡れた岩に生えていたと記されています。この Dunrea は、アイルランド北東部・Donegal県(ドニゴール県)の Inishowen 半島にある Fort Dunree(アイルランド語で An Dún Riabhach、別名 Dunrea)を指し、Robert Brown が軍医補として赴任していた場所でした。Guiry and Frödén は、この Conferva brownii が、従来Aegagropila linnaei と呼ばれてきたマリモと同じ分類群として扱われるなら、現在使うべき名前は Aegagropila browniiになる、と整理しました。

ここで少しややこしいのは、Aegagropila linnaei という名前自体も古い名前だという点です。

Aegagropila 属は、1843年に Kützing によって設立されました。そのとき Kützing は、リンネが記載した Conferva aegagropila(リンネがこの名前を与えたのは、スウェーデンのダンネモーラ湖の標本でした。中編①で「スウェーデン産の材料」と呼んだものにあたります)に基づき、Aegagropila linnaei という名前を使いました。しかし、もしそのまま Aegagropila aegagropila としてしまうと、属名と種小名が同じになってしまいます。植物や藻類の命名規約では、このような名前は基本的に認められません。そのため、Kützing は linnaei という置き換え名を作ったわけです。

(*2 リンネ(Carl Linnaeus, 1707–1778):スウェーデンの植物学者・博物学者。現在の生物分類学の基礎を築き、属名と種小名からなる「二名法」を確立したことで知られています。)

一方、brownii という種小名は、1809年の Conferva brownii に由来します。これが同じ生物を指していると認められるなら、linnaei よりも古く、しかも Aegagropila brownii として使える名前になります。そこで、Guiry and Frödén は、命名規約に従えば Aegagropila brownii が正しい名前だと結論づけたのです。

1809年、アイルランドの洞窟で採集するRobert Brownとダンディ・マリモ(生成AIで作成したイメージ画像)。洞窟内の濡れた岩に生える細い「糸状のマリモ(Conferva browniiのタイプ標本となる藻類)」を見つめる、ダンディ・マリモ。そして、その隣で丁寧に採集を行うRobert Brown。

💚😄💡「タイプ標本」が名前のよりどころになる

もうひとつ重要なのが、「タイプ標本」という考え方です。

学名は、単なる説明文やイメージに結びついているわけではありません。原則として、その名前の基準となる標本に結びついています。この標本をタイプ標本と呼びます。

たとえば、ある生物について「緑色で、糸状で、丸くなることがある」と説明しても、それだけでは似た生物と区別が難しい場合があります。しかし、「この名前は、この標本に基づいている」と決めておけば、後の研究者がその標本を参照しながら、名前の適用範囲を検討できます。

Guiry and Frödén の論文では、Conferva aegagropila の基準となるリンネの標本、そして Conferva brownii に関係する標本が詳しく検討されています。論文には、リンネの標本や、Dillwyn が記載した Conferva brownii の図版、さらに Lund 大学に残る Conferva brownii のタイプ標本(正確には、後に基準として選び直された「レクトタイプ」と呼ばれる標本)も示されています。この標本は、Robert Brown が採集し、Dillwyn から Borrer、そして C. A. Agardh へと渡ったもので、Lund 大学に残る Agardh の標本庫に収められています。

(*3 レクトタイプ:もともとタイプ標本が指定されていなかった場合に、後から正式に選ばれる基準標本のこと。)

つまり今回の学名変更は、「なんとなく名前を変えた」という話ではありません。古い文献、標本、図版、命名規約を一つずつ確認した結果として、「この生物には Aegagropila brownii という名前を使うのが適切である」と整理されたものです。

分類学というと机上の議論のように聞こえるかもしれませんが、実際には、標本庫に残された小さな藻類片、200年以上前の図版、古い手紙やラベルの記録までたどる、かなり地道な作業です。マリモの名前の背景には、湖底の生態だけでなく、博物館や標本庫に積み重ねられてきた長い研究史もあるのです。

200年前の古い戸籍・標本庫を調べるダンディ・マリモ(生成AIで作成したイメージ画像あくまでイメージです)。

💚😄💡では、これからは何と書けばよいのか?

では、私たちは今後、マリモの学名をどのように書けばよいのでしょうか。

研究論文や専門的な文脈では、今後 Aegagropila brownii が使われる場面が増えていくと考えられます。実際、近年のデータベースや保存株情報でも、Aegagropila brownii として扱う例が出てきています。

(*4 データベース:生物の名前や分類、分布、文献などの情報をまとめたオンライン資料です。研究者は、学名や分類の確認によく利用します。代表的な藻類データベースに, 「AlgaeBase (URL: https://www.algaebase.org)」があります。アイルランド国立大学ゴールウェイ大学(旧・アイルランド国立大学ゴールウェイ校)が運営する、世界中の藻類の学名、分類、分布、文献などを収録した代表的なデータベースです。分類や学名が変更されると、その情報も随時更新されます。AlgaeBase は誰でも無料で利用できますし, 登録やログインは不要で、ブラウザからアクセスして学名や和名を検索できますので、自分で属名、学名、和名や英名などを入力して検索してみてください。)

(*5 保存株情報:研究機関が保存・管理している生物(培養株)の情報です。採集地や学名、性質などが記録されており、研究に利用されています。)

一方で、これまでの膨大な研究では Aegagropila linnaei という名前が使われてきました。特に2010年代から2020年代前半のマリモ研究では、この名前が非常に一般的です。もっとも、先に述べたように、この名前が広く定着したのは2010年前後以降で、使用歴そのものは意外に浅いものです。とはいえ、この十数年の研究成果と読者の記憶に深く結びついた名前であることは確かなので、過去の研究とつなげて読むときには、しばらくの間、

Aegagropila brownii(旧 Aegagropila linnaei

あるいは、

Aegagropila brownii = Aegagropila linnaei

のように、両方の名前を併記するのが読者にとって分かりやすいと思います。

このブログでも、基本的には読者になじみのある「マリモ」という和名を使います。学名が必要な場面では、文脈に応じて Aegagropila brownii と書き、必要に応じて「旧 Aegagropila linnaei」と補足する形にしたいと思います。

💚😄💡名前が変わっても、マリモの価値は変わらない

最後に、ここを強調しておきたいと思います。

学名が Aegagropila linnaei から Aegagropila brownii に整理されたとしても、阿寒湖のマリモそのものが変わるわけではありません。阿寒湖の湖底で、無数の糸状体が絡み合い、長い時間をかけて美しい球状体をつくること。その巨大な球状マリモが、世界的に見ても非常に珍しい存在であること。そして、その生育環境が守るべき貴重な自然であること。これらは何も変わりません。

むしろ、学名の歴史をたどることで、マリモがどれほど長く研究者の関心を集めてきた生物なのかが見えてきます。

北欧の湖、アイルランドの洞窟、ヨーロッパの標本庫、そして北海道の阿寒湖。マリモという小さな緑色の藻類の名前には、思いのほか広い世界と長い時間が刻まれています。

分類学の話は少し細かいですが、名前をたどることは、その生物が人間にどう見つけられ、どう記録され、どう理解されてきたのかをたどることでもあります。そう考えると、マリモの学名変更は、単なる名前の訂正ではなく、マリモ研究の長い歴史をもう一度読み直すための入口なのかもしれません。

アストロバイオロジーセンター特任研究員 河野 優

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